happy go lucky

自分史というものを書いてみたくて。

横浜が生んだ天才少女が眩しくて仕方がない大阪の女

2021年の年明けの瞬間、どうして過ごしてましたか?

我が家はオンライン配信されたサザンオールスターズの年越しライブを見てました。

 

「紅白って演歌歌手も多いしツマンナイよね。」

「ほら、本当にイケてる歌手って、紅白には出ないんだよ・・・」

 

ついこないだまで「大晦日だよドラえもんスペシャル」を見て寝てた年齢だったのに、そんな会話がクラス内でも聞こえてくるようになるお年頃に、わたしはサザンにはまりました。

世間では涙のキッスとエロティカセブンがヒットチャートを賑わせていた時代。

地方都市の片隅で少女は「ステレオ太陽族」や「熱い胸騒ぎ」をTSUTAYAで借りてきてカセットにダビングしては繰り返し聴いていました。

 

テレビで放送されていたサザンの年越しライブは眠い目をこすりながらも必ず見てました。

親と同年代の彼らに、親とは違う大人の色気のようなものも感じながら。

上半身裸で踊って下ネタを繰り出す桑田佳祐を父親は「真面目にやればいい曲も書けるのにこんなにふざけやがって」なんて嫌そうな顔をしてたっけ。

(そもそもお父さんのカーステレオでサザンを知ったのに・・・とは言えなかった)

 

それから間もなく少女は「洋楽派」になり、中学高校大学と世の中を知るにつれていろいろなジャンルの音楽を聴くようになり、すっかりサザンのことは「幼い頃に聴いてたJ-popの思い出」として記憶の引き出しにしまわれていたように思います。

 

あれから30年近くが経ち、久しぶりにちゃんと見たサザン。

夜風のオンザビーチやいとしのフィートなど、昭和サザンが盛りだくさんで嬉しかったな。

 

極めつけが、奥様の原由子のことを

「横浜が生んだ天才少女」

といったメンバー紹介!

これにはしびれたなあ。

 

わたしが好きな初期のサザンはリトルフィートの影響を色濃く受けているといわれてるのですが、特に原坊が叩く高音オクターブは確かにリトルフィートっぽくて、でもそれだけではなくて音色が横浜や茅ヶ崎の空気を纏ってて本当に素敵なんです。

 

職場で下ネタを連発する同僚夫にツッコミを入れるわけでもなく嫌な顔をするわけでもなく、横でニコニコしてるだけの原さん。

なんとなく昔から不思議に思ってはいたけれど、大人になるとこれがどれだけすごいことかを痛感します。

「もしやりすぎちゃったときは、一緒に怒られましょうね」

というスタンスだということを知り、夫婦で自営業をしているわたしは年が明けても何かとそのことを思い出しては反省が止まりません。