一番古い記憶
断片的な記憶。
3歳。
習っていたリトミック教室で、スカーフを頭に巻いて男の子と写真を撮った。
あのときのスカーフのシルクの触感。
ドは赤、レは黄色、ミは緑、ファはオレンジ、ソは青、ラはチャイロ、シはピンク。
セロファンの切れ端を楽譜仕立てのワークブックに貼った。
4歳のときに、何か叱られて家の外に立たされた。
私はもうかわいがられるだけの赤ちゃんじゃないんだなあ。
5歳、幼稚園の年長組。
入学を前に男の子たちが「苗字+君」でお互いを呼ぶのを見て、何となくマネしてみたら「えっ!〇〇君の事好きなん?」と言われて「えっ」と思った。
幼稚園が力を入れていたマーチングで、ドラムメジャーをすることになった。
あとで母に聞くと「プログラム全体を把握できる子、曲を全部覚えられる子はアンタだって話になったらしいよ」と。
3月生まれでそれはかなり早熟タイプだったのかもしれない。
いやそもそもこの起用理由が本当かどうかは分からないけれど、一人だけ赤くてかっこいい服を着て羽のついた帽子をかぶった思い出は、大人になっても自分の自信につながっている。
しかし記憶にあるのは、マーチングフェスティバルの開会式で手持無沙汰だったので棒のフサフサをいじったりモジモジしていたら、そのあとこっぴどく叱られたこと。
大きい会場でどこまで進んでいいのかわからなくなったところで、カメラマンさんがカメラを向けたまま「ココまでだよ」とジェスチャーしてくれたこと。
幼稚園から2人一組で近くの公園へ練習しに行った時の、あの道や公園から見る景色。
地方都市繁華街の雑居ビルの裏側の、表側と違って何も装飾されていない油と酒にまみれた土のような壁壁壁、そして青空。
そんなもんだ。
幼稚園には3年通った。その園で当時3年保育で入園したのは5,6人ほど。
4月5月生まれの子の中に3月生まれの私がちょこんと。
母としては、商売をしているから園に預けたいけど、元幼稚園教諭としては保育園じゃなくて幼稚園に入れたかったこと、もう一つの理由としては二人目になかなか恵まれなくて病院に通ったのだと大人になってから知った。
結局その3年間で弟が2人生まれた。